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岩手の雄 メイセイオペラ

名馬 MEMORIAL
メイセイオペラ 
http://www.iwatekeiba.or.jp/index.html

1994年6月6日生。牡。栗毛。高橋啓(平取)産。
父グランドオペラ、母テラミス(母父タクラマカン)。佐々木修一厩舎(水沢)
通算成績は、35戦23勝(旧3-7歳時)
主な勝ち鞍は、フェブラリーS(Gl)、帝王賞(統一Gl)、南部杯(統一Gl)、マーキュリーC(統一Glll)、東北優駿(東北地方交流重賞)、みちのく大賞典(岩手重賞)3連覇、北上川大賞典(岩手重賞)連覇、シアンモア記念(岩手重賞)連覇、桐花賞(岩手重賞)、不来方賞(岩手重賞)
1999年NAR年度代表馬

メイセイオペラ故郷
メイセイオペラの故郷は、北海道・平取の高橋啓牧場である。平取は、日本のサラブレッド生産の中心地として知られる日高地方の一部とはされているものの、門別、静内、浦河といった知名度の高い馬産地が太平洋沿いに広がっているのに対し、平取はかなり内陸に入った北側にあり、その意味で馬産の主流をやや外れた地域ということができる。メイセイオペラより2歳年上の1992年の生産馬から、96年の高松宮杯(Gl)、スプリンターズS(Gl)を制したフラワーパークが出たことで有名になったものの、当時は一般のファンには知る人も少ないマイナーな牧場だった。
メイセイオペラの血統は、父グランドオペラ、母テラミス、母の父タクラマカン・・・というものである。一般的な競馬ファンならば、どれひとつ名前を知らなかったとしても不思議はない。岩手競馬で13戦2勝の戦績しかなく重賞とも無縁だったテラミスが知られていないのは当然としても、父、母の父とも彼ほどに知名度が低いGl馬は、近年ではなかなか見かけない。

まず、メイセイオペラにとって母の父にあたるタクラマカンは、中央競馬で17戦7勝という戦績を残しているが、重賞勝ちはなく、主な実績はといえば、モンテプリンスが勝った宝塚記念で3着に入り、谷川岳S(OP)を連覇した程度である。世代的にはカツトップエース、ミナガワマンナらと同じ世代にあたるタクラマカンだが、アメリカ生まれの外国産馬だったために、クラシックや天皇賞はもちろんのこと、現在よりさらに厳しかった外国産馬への出走制限によって出走の機会を大きく制限された彼は、不完全燃焼のまま競走生活を終えただけでなく、「実績がない」ゆえに不遇の種牡馬生活を送らなければならなかった。

タクラマカン産駒で、岩手競馬の2勝馬。・・・そんな血統と戦績では、繁殖牝馬としての魅力はほとんどない。テラミスの馬主だった小野寺良正氏は、テラミスが可愛がっていた義理の甥の見つけてきた馬であり、また彼自身にも、気性的な問題さえなければもっと勝てたという思いがあったことからテラミスを繁殖に上げようとしたが、周囲の競馬関係者からは反対の声しか挙がらなかったという。

高橋啓氏の牧場がテラミスを預かることになったのは、当時高橋牧場の経営状態が上がらず、それまでの自己所有と子分けの繁殖牝馬を中心とする牧場経営から、確実な収入が期待できる預託馬中心の牧場経営に方向転換を図っていたためだった。自己所有や子分けの繁殖牝馬の場合、歴史に残る名馬をつくることで、大きな経済的利益を得ることができる。しかし、馬主からの預託馬として預かると、繁殖牝馬や子馬の所有権がすべて馬主に帰するため、そうした「一攫千金」の夢はあまりない。その代わり、牧場は繁殖牝馬の受胎、不受胎に関わらず安定して預託料を受け取ることができるし、さらに不受胎、あるいは売れ残りのリスクも馬主が負うことになる。つまり、高橋牧場が目指す経営形態は、収益を運に左右されない「ローリスク・ローリターン」の経営だった。

岩手の怪物「トウケイニセイ」
メイセイオペラがそんな静かな時を過ごしていたころ・・・1995年10月10日、水沢競馬場のスタンドを埋めたファンは、しばしの沈黙に包まれた。その日行われたマイルチャンピオンシップ南部杯(交流重賞)の結果、ひとつの神話が終わりを告げた。「岩手の怪物」「東北の魔神」と謳われ、岩手競馬の象徴ともいうべき名馬トウケイニセイが、生涯初めて連対を外す3着に敗れたのである。

トウケイニセイの戦績は、この日まで41戦38勝、2着3回。その数字だけで「伝説」というにふさわしいが、これは1989年から足かけ7年間で実際に繰り広げられた、まぎれもない事実そのものである。トウケイニセイは、デビュー戦を勝った後に屈腱炎で1年半のブランクを強いられながら、その後復帰してからも勝ち続け、デビュー戦から最初の敗戦まで、当時の日本記録となる18連勝を飾った。そして、7歳にしての重賞初挑戦となったみちのく大賞典(岩手重賞)でモリユウプリンスを撃破して岩手の頂点に登りつめるや、その後はモリユウプリンスと2頭による「ワン・ツーフィニッシュ」が10回という宿命の対決で8勝2敗と大きく勝ち越し、「TM時代」、そして「トウケイニセイ時代」を樹立した。東北サラブレッド大賞典3連覇、桐花賞連覇(当時)、南部杯連覇、シアンモア記念連覇、北上川大賞典連覇、みちのく大賞典優勝・・・岩手競馬、そして東北地区の古馬の大レースを総なめにした岩手競馬史上最強の名馬を、人は「岩手の怪物」「東北の魔神」と呼んだ。

トウケイニセイは、その血統においても岩手の申し子というべき存在だった。父のトウケイホープは、南関東でデビューして東京大賞典などを勝った後に岩手競馬へと移籍し、シアンモア記念、東北サラブレッド大賞典、桐花賞などを勝っている。さらに、トウケイニセイの兄トウケイフリートも、65戦21勝の戦績を残し、南部杯こそ勝てなかったものの、弟が勝った大レースを軒並み勝ち、さらには弟が出走できなかった「岩手ダービー」ともいうべき不来方賞も勝っている。そんな血統のもとに生まれたトウケイニセイ自身が前記の成績を残しているのだから、たまらない。彼は岩手のカリスマであり、その圧倒的な強さは岩手競馬の象徴ですらあった。

このように岩手競馬の栄光のすべてを知り尽くしたトウケイニセイだったが、遠征は東北地区内のものが2度あるだけで、あとは地元の盛岡か水沢でのレースに限られていた。デビュー直後に屈腱炎を病んだこともあるトウケイニセイには、脚部不安ゆえの慣れないダートへの不安、そして東北地区内ですら遠征をすると馬房の中で暴れるという問題があった。

さらに、「遠征先で、脚を氷の中に突っ込んだり、治療したりするところを見られたくなかった。なんだ、あんな馬を連れてきたのか、と思われたら、ニセイに失礼だ」
という管理調教師の「プライド」もあって、トウケイニセイは「岩手にトウケイニセイあり」と恐れられながらも、南関東や中央への挑戦とは無縁のまま「岩手の帝王」であり続けたのである。

メイセイオペラ始動
メイセイオペラが岩手競馬の水沢に厩舎を構える佐々木修一厩舎へと入厩することになったのは、彼が(旧)3歳になってからだった。
佐々木師が最初にメイセイオペラを見た時は、さほど心を惹かれるような馬ではなかったという。だが、しばらく経ってもう一度見た時には、メイセイオペラは以前と見違えるように大きく成長していた。
「これなら、いいところまでいけるかも」
佐々木師の相馬眼に、閃きが走った。
当時のメイセイオペラは、中央のある厩舎に入厩する話が進んでいた。しかし、小野寺氏と以前から親しく、さらに兄のメイセイスプーキーも管理していた佐々木師は、小野寺氏にメイセイオペラを託してくれるよう、ぜひにと頼み込んだ。最初小野寺氏は渋っていたが、中央の厩舎で馬房が空くのがしばらく先だと知った佐々木師は、
「中央に持っていくのは、うちの厩舎で走らせてみて、走ると分かってからでもいいじゃないですか」
と称して小野寺氏を押し切り、半ば無理やりメイセイオペラを自分の厩舎に連れていったという。
こうして佐々木厩舎、そして岩手競馬の一員となったメイセイオペラの馬名は、小野寺氏の名前の「良正」と、奥方の名前の「明子」から1字ずつとった「明正=メイセイ」という冠名、そして父グランドオペラの名前の一部の「オペラ」に由来している。後におなじみとなる、赤地の額に「明正」と印字されたメイセイオペラのメンコは、この冠名によっている。

4歳になったメイセイオペラは、スプリングCから始動した。このレースには、岩手競馬の3歳王者決定戦の南部駒賞(岩手重賞)、そして東北地区の統一王者決定戦・東北サラブレッド3歳チャンピオン(東北交流重賞)をはじめ、岩手では8戦8勝という東北地区の3歳王者アプローズフラワーを筆頭に、盛岡の芝1000mで57秒8という脅威のレコードを叩き出して注目を集めたカツヤマリュウホー、中央のラベンダー賞(OP)に乗り込んで3着に入ったファイヤーマリオ・・・といった出走馬が揃った。3歳時には彼らと対戦することなく勝ち上がってきたメイセイオペラにとって、この日が事実上初めての一線級との対決だった。
だが、メイセイオペラはこの大切なレースをあっさりと制した。渡辺正彦騎手を鞍上に迎えた彼は、レースを引っ張るアプローズフラワー、カツヤマリュウホーの人気馬2頭を見ながらの3番手の競馬に持ち込み、第3コーナーからまくり気味に仕掛けてゴールまで押し切った。3番人気ながら、人気馬たちをまったく寄せつけない競馬は、人々に新たな王者の誕生を予感させるものだった。
その後、手薄な相手関係の「4歳A」を当然のように勝って連勝を「5」に伸ばしたメイセイオペラは、ダイヤモンドCへと駒を進めた。

ダイヤモンドCは、当時こそ特別戦として行われていたものの、かつては重賞として行われていた時期もあった重要なレースである(現在は再び岩手重賞に格付けされている)。さらに、このレースは上位馬2頭に「岩手のダービー」ともいうべき不来方賞(岩手重賞)への優先出走権が与えられる。

だが、そんな伝統も、昇竜の勢いのメイセイオペラの前では何の意味もなかった。単勝120円という圧倒的1番人気に支持されたメイセイオペラは、ここでも7馬身差の圧勝を飾った。

スプリングC、ダイヤモンドS。このふたつの特別戦には、岩手競馬の有力4歳馬たちがほとんど出走していた。メイセイオペラは、このふたつのレースをいとも簡単に制することで、みちのく競馬のクラシックロードの本格化を前に、早くもファンに「メイセイオペラ、岩手に敵なし」という印象を刻み込んだのである。

快進撃岩手競馬におけるクラシックロードは、不来方賞を頂点とするレース体系をとっている。だが、そのレース体系と並んで彼らにとって重要な意味を持つレースに、岩手競馬、新潟県競馬、上山競馬が持ち回りで実施する東北ダービー(東北優駿)がある。

1978年に始まったみちのく競馬の祭典は、これまでカウンテスアップ、モリユウプリンスといった岩手の名馬のみならず、上山競馬の歴史に残る名牝カガリスキー、新潟県競馬の新潟皐月賞、新潟ダービーを起点に上山、中央、岩手、中津と渡り歩いて15勝を挙げたダンシングジオット、やはり新潟の二冠を制し、ダービーグランプリでも南関東の雄アエロプラーヌの2着に突っ込んだツカサアコードなど、各地を代表する強豪たちが勝ち馬に名を連ねる伝統のレースである。

新潟競馬場で行われた「第20回東北ダービー」の出走馬10頭は、地元新潟から7頭、上山から2頭、そして岩手代表として単騎乗り込んだメイセイオペラという顔ぶれになった。新潟ダービー馬アクティブステート、新潟ダービーは4着に敗れたものの、牝馬ながら新潟皐月賞を制覇したイノセントライムを筆頭に、新潟ダービーの上位6頭のうち3着以外はすべて出走するというメンバーをそろえた地元の新潟勢、上山さつき賞馬コマノサンシャインと同2着馬サファリファミリーで出陣する上山勢とも、世代最強の顔ぶれであることは間違いなかった。

しかし、岩手競馬のクラシックロードを圧倒的強さで独走してきたメイセイオペラはここで単勝150円の1番人気に支持された。彼の鞍上には、前年暮れの白菊賞以来となる、「岩手代表に最もふさわしく、遠征にも慣れている騎手」菅原勲騎手が迎えられていた。

菅原騎手にとっての東北ダービーといえば、15年前の1982年、スーパーライジンでの制覇が最大の思い出だという。騎手デビュー2年目にしてダイヤモンドC(当時岩手重賞)、不来方賞を制した強豪でこのレースに臨んだ菅原騎手は、レース中に鞭を落とすというミスを犯しながらも「馬に助けられて」優勝し、東北ダービー初制覇を飾った。その後岩手のトップジョッキーに成長した菅原騎手は、前年までに東北ダービー4勝を挙げたものの、その記憶においてスーパーライジンを超えた時はなかった。

だが、このレースにメイセイオペラは、新潟、上山のオールスターを相手に完璧な競馬・・・あるいは「競馬」と呼ぶのもおこがましい一人舞台を演じた。スタートからゴールまで、ほとんど馬なり・・・最後はむしろ手綱を抑えたにも関わらず、直線では懸命に追う他の馬を引き離す一方のまま、3馬身差のレコードで圧勝したのである。1分52秒4という勝ちタイムは、同条件の新潟ダービーのレコード1分56秒0より3秒6、東北ダービーの従来のレコードである1985年にアフターセプトが同じ新潟で記録した従来のレコードより1秒6速いだけでなく、古馬も含めたコースレコードをも0秒3縮める驚異的なタイムだった。

メイセイオペラにとって、東北ダービーは「初重賞」となった。しかし、この1戦をもって、東北地区が完全にメイセイオペラの軍門に下ったこともまた、まぎれもない事実だった。東北王者となったメイセイオペラが同世代の中で残す通過点は、不来方賞だけとなった。

JRA フェブラリーS(G1)
1999年1月31日、日本最大にして最高の競馬場ともいうべき東京競馬場・・・府中の杜につめかけた約10万人の観衆が、大歓声に揺れた。この瞬間、彼らは日本競馬に新たな1ページ、そして歴史が刻まれる光景を目撃し、歴史の証人となった。
彼らの視線と賞賛の先には、1頭の栗毛の牡馬がいた。メイセイオペラ・・・それが、そのサラブレッドの名前である。この日の彼は、日本競馬のレース体系の頂点にあるGlのひとつであるフェブラリーSを制したが、その彼は中央競馬の所属馬ではなかった。それまで長い間、中央競馬からは一段も二段も下がるものとして軽視されてきた地方競馬の所属馬・・・それも、地方競馬としては人気と実力においてトップとされ、地方競馬の盟主と自他共に認める南関東競馬の所属馬ですらない、みちのく岩手競馬の雄だった。そんな彼が、中央競馬の聖地ともいうべき東京競馬場に攻め上り、地方所属馬としては初めて中央競馬のGlを制したのである。

メイセイオペラが現れた時、地元・岩手が彼の進撃に熱狂し、アブクマポーロとの死闘に震え、そして全国制覇の瞬間、歓喜に沸いたという事実であり、歴史である。それらこそは、岩手に競馬の文化が根付いていることとともに、メイセイオペラが人々の心を結びつける役割まで果たした名馬であることを証明するものである。

メモリアル馬券のご紹介
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単勝でメイセイオペラを応援したものです。

岩手競馬
http://www.iwatekeiba.or.jp/index.html










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GLORY KING BEEMAN

Author:GLORY KING BEEMAN
WELLCOME HUNTER BEE !!
競馬歴23年、DATACARDDASS歴2年のDREAMERです。
ブログでは、JRA予想を始めとする、地方競馬(特に重賞)をレース傾向に加えオカルト要素も含めて大胆な且つ当たる馬券を推奨します。
ガンバライド、アニマルカイザー等のCARDDASS情報も掲載していきますよ~!
今後とも HUNTER BEE ヨロシク!!

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